東京公園散歩

公園を訪れ地域の歴史・地理について理解を深める

036江古田の森公園

江古田の森公園
中野区江古田3丁目
20200125
☆☆☆☆

実は公園散歩を始めた頃から何度も訪れている。最初に訪れたのは2019年の台風19号通過後の10月13日。東進してきた江古田川は寺山台地にぶつかり大きく北側に巻いて、妙正寺川に合流するまで南下する。舌状に飛び出した台地部分は森に覆われ江古田の森公園となっている。

東側の江古田川との間に低くて平らな広場があるが、ここは調整池である。この調整池見たさに訪れたのだが、前日の台風で増水し水が流入した為立入禁止となっていた。その後何度か訪れるも清掃中で今回やっと中に入れた。よく見ると普通の公園と少々様子が違う。川沿いは土手で一部分が越流堤になっている。山側は山の斜面で水を受けるが一部分は石垣になっている。そして広場の中央に二か所石垣の護岸で囲われ周囲より高くなっている部分がある。ただ立派な木々が植わっているだけで何の目的だろう。水が蓄えられると正に島となるであろう。中野区のウェブサイトでは2020年7月23日に大雨による浸水で使用できなくなっていたが8月19日より開園したとあるので、ちょくちょく水の流入はあるのかもしれない。ちょろちょろと流れる江古田川しか知らず、轟々と音を立て流れる様は想像するに恐ろしい。

調整池となっている広場部分は1971年に北江古田公園として開園された。その前には野方苗圃と呼ばれる苗圃(苗を育てる畑)であったようだ。野方苗圃、なんとも不思議な魅力漂う名称だ。ネットを検索しても詳しい説明は見つけれない。ただ公園内にあるハナミズキの丘、ワシントンDCのポトマック川ソメイヨシノとの関連については詳しく知ることができる。広場の南側に少し遊具がおいてある。ブランコ、砂場、複合滑り台、それに平均台のような健康器具。北側は舗装されエンジ色に舗装されている。

森の部分はかつて将軍の鷹狩の場として、その後結核療養所として、そして2007年に地域の防災を担う公園として追加整備され江古田の森公園となった。形を変えながらも森が残されたことは喜ばしい。

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調整池となっている旧北江古田公園部
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オレンジ色に舗装されている部分 奥に越流堤が見える