東京公園散歩

公園を訪れ地域の歴史・地理について理解を深める

020江古田公園

江古田公園
中野区松が丘2丁目
20191110
☆☆☆☆

江古田、さてなんと読むか。答えはエゴタなのだが、私のような地方出身者には、エコダと読む方が自然に思える。どちらも存在すると知ってから長い間混乱が続いたが、やがて中野区民となり、子供達と散歩するようになり、めでたく両者を認識できるようになった。要は中野ではエゴタで練馬ではエコダなのだ。

江古田という地名はたいそう古いようで、中野区の公式ホームページには、1480年の太田道灌状に記された「江古田原沼袋合戦」の顛末の中で、江古田原という地名が登場するそうだ。

東進する妙正寺川は野方台地が北に伸びた舌状部の松が丘に遮られ、沼袋駅南側で向きを変えて西の沼袋台地との間を北上する。そして松が丘の北端を巻いて再び南に向きを変える辺りから江古田公園となる。北からの江古田川との合流点も公園内にある。

妙正寺川の両岸とも江古田公園で、左岸つまり新青梅街道側は広場で、割りと広めだが遊具は複合滑り台があるだけ。右岸は崖と森で、一周ぐるりと周遊する遊歩道は切り立った崖の中腹を横切って渡ったり、台地上の松が丘と谷底の妙正寺川の間の急な坂を堪能できる。

公園内には江古田原沼袋古戦場の碑がある。中野区公式観光サイトまるっと中野では、1477年太田道灌と豊島氏がこの辺りで衝突し、道灌は哲学堂辺りに、豊島氏は歴史民族資料館辺りに陣取ったとある。互いに谷を挟んで睨み合ったのだろう。

他に整地碑という記念碑もあるのだが今回は見逃した。徳殿公園にある区劃整備碑との関連を調べたかったのだが、また今度。

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